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2010年3月

2010年3月28日 (日)

東京下町散歩

   このところ隅田川界隈を歩いている。江戸の下町を舞台にした時代小説が最近の(といっても数年になるが…)、通勤車中でのお気に入り
になっている。佐伯泰英、藤原緋沙子、稲葉稔そして宇江佐真理などなど。
新橋(ここまでは毎日のように行くのですが)から地下鉄で人形町へ。
人形町の碁会所にはよく通いました。移転していて、どこかわかりませんでした。
都営浅草線・人形町駅出口
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水天宮が近くにありますが、そちらは割愛!
甘酒横丁で行列です
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鯛焼・柳屋さんでした。一つ一つ作ってます。時間がかかるわけです。
美味しそうなので食べたかったけど、並ぶのはどーも…。
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こんな人形焼もありました。ちょっと話題としては古いですか…。
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掘割を埋め立ててできたと思える緑道では、桜の木の下で宴会です。
木によっては6、7分咲きのも。
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鳩も桜の木の上で、不思議そうに眺めてます…?
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この緑道に弁慶像が。
350年前現在の人形町あたりに、江戸三座といわれた芝居小屋のうち市村座と中村座が歌舞伎を上演しており、芝居街と呼ばれていた。また、浄瑠璃による繰り人形の芝居小屋も数軒あり、歌舞伎と合わせ庶民の人気を集めていた。ここで使われた人形の製作と修理に当たった人形師達がこの周辺に住み、人形細工と人形の販売を生業としていた。以上が、人形町の名のいわれだそうです。
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明治座の横の浜町公園へ。
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ここでもお花見です。4,5分咲き位でしょうか。冷たい風でしたが沢山いました。やはり日本人なんですね。
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浜町公園内のスポーツセンター傍に咲いていた、赤と白が一緒に咲いていた花。なんていう花なのか知りませんが。
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花と蕾
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浜町公園を突っ切り、隅田川際へ。新大橋を眺める
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新大橋 昭和52年竣工 
橋の柱にかかっている銅板の浮世絵図
磐音とおこんさんも一緒に渡ったんですね、この橋を!勿論この橋ではないが。 (居眠り磐音江戸双紙)
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これは明治45年に架けられた新大橋
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新大橋を渡って江東区へ。橋際で河岸道(隅田川テラス)を南へ(下流へ)歩きます。遊覧船もお客が一杯のようです。むこうの橋は清洲橋。
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隅田川テラスではジョギングしている人が多いです。
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そして芭蕉の句碑が幾つもありました。(大川端芭蕉句選)
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一旦隅田川テラスと別れます。アーチ形の橋は萬年橋。
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この橋の手前でテラスから上がると、芭蕉庵史跡庭園があります
真っ黒いのは芭蕉師です。カメラ技術が今一つ・・・。
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隣に芭蕉稲荷。正式には正木稲荷神社。芭蕉庵はこの地が最も有力視されているとか。
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かえるが…
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萬年橋通りを北に戻ります。目指すは江東区芭蕉記念館。
ここは入館料100円なので、休憩とトイレを借りるには重宝します(笑)。こんなこと知られたら、大変です。
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芭蕉師の貴重な資料が多数展示されています。「奥の細道」での
壮大な旅についても勿論です。大きな建物ではないですが、詳しく見ていたら結構時間がかかります。
庭の木々にはその木の名前が入った句がついてます。さすが芭蕉記念館です。
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記念館でトイレを済ませ(?)、すっきりして東へ。すぐ深川神明宮があります。
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鳥居の左にある由来記
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由来記によると、徳川家康公巡視の折、ここを開拓していた深川八郎右衛門に地名を尋ねたが、「住む人も少なく、地名もない」と答えると家康公から「深川」を地名にするよう命ぜられたとある。
八郎右衛門は屋敷のうちに小さな祠を建て、日頃から崇敬する伊勢神宮の大神様のご分霊をお祀りし開拓民の幸せと、深川の地の発展を祈念した。これが深川神明宮の起源です…。
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深川神明宮をお参りし、高橋のらくろードを通り森下文化センターへ。
ここの一階にのらくろ館があります。作者の田川水泡氏は幼少期から青年期を江東区で過ごしている。平成10年、遺族から作品や遺品を寄贈された江東区は、平成11年「田川水泡・のらくろ館」を開館しました。 私は“のらくろ”は全然知らずに来てました。中核は戦前の昭和の時代なんでしょうね。兵隊姿が多く、やはりその時代を表しているんですね。子供の頃、わちさんぺい(?)のマンガで「虎の子兵長」を好きで見た記憶がよみがえってきました。
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中に入ります。ここも詳しく見たら時間かかります。
【WORDで作った画像を載せます。】

Photo
ここから南に行き、時代小説によく出る小名木川を渡り、深川江戸資料館へ。
小名木川
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深川江戸資料館は大規模改修工事中でした。残念です。今年7月22日まで休館です。
以前入ったのですが、ここでは高い吹き抜けに、約170年前の深川・佐賀町の街並みを再現してある。米屋とその大きな蔵、八百屋そして長屋。堀割りに浮かぶ猪牙舟と船宿。火の見櫓等々。
そして、あんな狭い裏長屋に一時、髪結い伊三次がお文と、はたまた磐音も住んでいたんだなーと感慨深く思われるのですが、工事中で内部の写真はナシです。
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資料館前の土産物屋。「日本一まずい佃煮」なんて、売れるんでしょうか?有名な店みたいです。“まずい”って言う字が逆さなので美味いって言うことか?
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資料館の隣りが霊巌寺です。霊巌寺は名前のように元々霊巌島にあったが、振袖大火(明暦3年、1657)で消失しこの地に移転してきまし
た。
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Reigannji

このお寺に松平定信の墓所があります。松平定信は八代将軍の孫で、白河藩主松平(久松)定邦の養子となり天明3年(1783)藩主となり、天明7年(1787)には老中首座となり、寛政の改革を行った。

縁切り寺「慶光寺」の女主の万寿院(かっての将軍の側室)とその御用を務める寺宿「橘屋」の“お登世”を陰で助けているのが、隠居した定信(楽翁)。橘屋でお登世の下働き兼用心棒の浪人、塙十四郎も楽翁のお蔭で白河藩のお抱えの剣術指南役に取り立てられる。やっと安定した地位を得て、お登世と世帯をもてそうです。「隅田川御用帳」(藤原緋沙子著)

「居眠り磐音」(佐伯泰英著)でも磐音が徳川将軍を陰で警護する尚武館道場主・佐々木玲圓の養子になってやっとおこんと世帯を持てたように。それにしても「更衣ノ鷹」では思わぬ急展開で、これから磐音とおこんはどうなっていくのか?どう展開していくのか想像もつかない!

楽翁・松平定信の墓所(霊巌寺内)
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PC教室終了後、出かけてきたのでこの辺で、今日の散策は終わりです。富岡八幡宮や深川不動尊などは別の機会に…。

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