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2010年6月

2010年6月27日 (日)

蝉しぐれの丹沢・鍋割山稜

梅雨の晴れ間に丹沢・鍋割山稜を歩いてきた。

小田急線渋沢駅からバスで約10分で大倉へ。ここから大倉尾根を登り、「金冷やしの頭」の分岐で塔ノ岳への道を右に分け、左に(西)進み鍋割山稜を鍋割山へと歩く。塔ノ岳は東丹沢一番の人気の山で人も多いがこちらは少ない。ぶなの大木の中、森林浴をしつつ静かな山歩きを楽しんできました。

(沢山画像載せました。どんどん進んじゃって下さい。)

渋沢駅からのバスの中、ほとんど登山者ばかり。

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大倉バス停から車道を北へ進む。車道からコンクリート舗装された山道になり、すぐに道幅も狭くなり登山道になる。

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時々、雲が切れ、朝日がさす。緑が眩しい。ウグイスやら野鳥の鳴き声につつまれ、気持ちのいい朝の山道。至福のいっとき。

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観音茶屋を過ぎ、道は二股に別れる。先で合流するが、左を行く。パノラマ展望台があるが、曇り空なのでどうなのか?

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「大倉高原山の家」の手前にこんな鳥居が…。いつの間にできたのか?

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「大倉高原山の家」 ここのすぐ上の平にキャンプ場があります。水場もあるので。

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山の家の前。ここからの展望がいいのだが、ガスってて下界は見えません

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山の家の清水の水場。冷たくて美味し~い!20円です。

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見晴茶屋。改築なって綺麗になりました。

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ここを過ぎてから急登 になる。一本松跡の平で休憩。

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更に進むと駒止茶屋に。ここまで馬で来たのでしょうか、昔の人は。

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駒止茶屋の上の平。

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向うの稜線はガスがかかっています。天気がよければ左上に富士山が見えるのだが…。

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「堀山の家」 ここからまたきつい階段が続きます。ここで小休止しエネルギー補給します。

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階段状のきつい登山道が続くが野鳥の鳴き声に救われる。

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「花立山荘」の手前でツツジの花を見ました。ミツバツツジかな?

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やっと「花立山荘」に着きました。

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ここからの景色がいいのだが…。富士山も雲の中。承知で来ているが…。向うに目指す鍋割山稜が雲の切れ間から覗けた。

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このさき花立からは絶景なのだが…。いったん樹林の中を下り、狭い稜線を進むと「金冷やし」の分岐に出る。

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分岐。登ってきた道を見る。西の鍋割山稜を行く。反対は塔ノ岳への道。

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ほとんどの人が「塔の岳」を目指していく。鍋割山稜を行く人は少ない。
ぶなの大木などの雑木林の中を静かな山歩きするには絶好の稜線なんですが…。

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時々、緑濃い木々の中に赤いツツジが見れる。フッとほおがゆるむ。

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北側の丹沢主稜方面。蛭ヶ岳(神奈川県の最高峰)かどうかは同定はできない。

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倒木にコケが生している。

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言葉で表現できない春ゼミの大合唱!時々、ヒグラシのような鳴き声も聞こえる。「何処にっ?」と捜しても見つからない。抜け殻はたくさん見れましたが。

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緩やかな稜線をマイナスイオンを体いっぱいに浴びて(?)進む。

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前に人がいました。ほっとしました。

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またガスがかかってきた。

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何の花なのか?

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「金冷やし」の分岐から1時間。鍋割山頂に着きました。鍋割山荘です。

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7時15分に大倉を出発。12時に着きました。随分かかってます。
現在の自分の足腰の状態からはこんなもんでしょう。
山頂からは富士山や蛭ヶ岳などが見れるのですが…。

鍋割山荘の名物、鍋焼きうどん。かって100キロを越すボッカで有名な山荘のご主人が作ってくれます。汗で冷えた体には暖かく、具だくさんでおいしかったです。量が多いかなと思いましたが、さすがに体力消耗していたのでしょうか、完食しました。

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1時間ぐらいのんびりして下山しました。途中、こんな鹿の角のような木を見つけました。

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後沢乗越(うしろざわのっこし)を過ぎ、林道に降りてきました。

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ここからは出発地点の大倉バス停まで単調な林道歩きです。
1時間40分ぐらいの林道歩き。

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大倉バス停近辺。風のつり橋。ほっと一息です。

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久しぶりの山歩きでした。霧の中のぶなの原生林の中を歩く、静かな山歩きを楽しめた鍋割山稜でした。

前日、前々日の二日間、整骨院で足腰もんでもらいました。で、モッタノカナ?

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2010年6月13日 (日)

清澄公園と清澄庭園

清澄公園

関東大震災で崩壊した、庭園の西側に隣接する旧洋館跡及び庭池一帯だった旧清澄庭園敷地を購入、昭和49年より整備し昭和52年無料開園した。

傘のお化けか?“ゲゲゲ…”を見過ぎ…?

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藤棚の下でさかんにラジコンカーを調整しているお相撲さん。
「何処が悪いの?」「エンジンから煙が出て、音が大きいんです。」
携帯で電話して聞いて、やっといい感じになったよう。
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「なんて云う四股名なの?何部屋?」「安芸乃川です。高田川部屋です、3段目です。3年目で17歳です。先場所ですか?勝ち越しましたよ。」「ブログ?どうぞ載せて…」
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今度は快調、 みんな遠巻きに見てます。
操縦のうまいこと!「レースに出た事ないけど興味はありますよ」
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「来場所もガンバッテ下さい!」「有り難う…」
礼儀正しい好青年でした。早く上にあがってきてね。

清澄庭園
一説に江戸の豪商・紀伊國屋文左衛門の屋敷跡と言い伝えられています。
 明治11年、岩崎弥太郎が、荒廃していたこの邸地を買い取り、社員の慰安や貴賓を招待する場所として庭園造成を計画、明治13年に「深川親睦園」として一応の竣工をみました。弥太郎の亡きあとも造園工事は進められ、隅田川の水を引いた大泉水を造り、周囲には全国から取り寄せた名石を配して、明治の庭園を代表する「回遊式林泉庭園」が完成しました。
 清澄庭園は、関東大震災で大きな被害を受けましたが、この時図らずも災害時の避難場所としての役割を果たし、多数の人命を救いました。岩崎家では、こうした庭園の持つ防災機能を重視し、翌大正13年破損の少なかった東側半分(現庭園部分)を公園用地として東京市に寄付し、市ではこれを整備して昭和7年7月に公開しました。
(パンフレットより)

入ってすぐ

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大正記念館(休憩所) ここも涼亭も有料で貸切利用できるようです。

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その内部です。持参したお弁当を食べる人、居眠りする人。暑いこの日は嬉しい施設か…。
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大磯渡り

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カモに餌をあげる女の子。

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なにカモか?

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日本各地の名石の数々
岩崎家が自社の船で全国から集めたものを園内に配置してある。
佐渡赤玉石

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伊豆磯石

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加賀真黒石

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伊予青石

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生駒石

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磯渡り

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着物の人も。お茶会でもあったのでしょうか?

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数奇屋造りの涼亭 明治42年国賓として来日した英国のキッチナー元帥を迎える為岩崎家が建てたもの。

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池を向いて座禅をしている。中にお坊さんもいました。

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涼亭前の紫陽花、今は もっと色づいていることでしょう。
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庭園の木の上に東京スカイツリーがちょっと見えてました。コンデジのズームを最大にして…。

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自由広場の奥に花菖蒲田が2枚あります。もう一方は少ししか咲いていませんでしたが一週間前ですので、今頃は…。

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傍にある芭蕉の句碑 あまりにも有名な句です。

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柵の隣りは深川図書館
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ぐるっと半周以上過ぎ、バックにビルが入らない庭園を写せました。


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石橋

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石橋を渡った先にカメラマンが4,5人。何を…?アオサギでした。

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だらだらと沢山画像載せました。
最後まで見てくれて有り難うございます。

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深川

深川を歩いてきました。第二回深川芭蕉まつりの最終日。(6/6)
江東区芭蕉記念館での講演会には間に合わず、芭蕉通りでのイベントの八名川小学校合唱チームによる、本場の(?)“春”を聞き、深川北部史跡ガイドツアーに参加しました。芭蕉と深川との係わり、史跡をツアーガイドさんの案内で楽しく知ることができ、有意義な一日を過ごしました。
八名川小合唱チームの合唱

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芭蕉通りは模擬店がいっぱいでした。ここだけ見ると芭蕉とは関係ないような…。
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深川北部史跡ガイドツアー
まず芭蕉記念館へ

屋根は 芭蕉が旅をした時の蓑傘をイメージしているとか
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記念館にある祠 芭蕉堂。 1943年10月12日に建てられた。その日は芭蕉の250回忌。
堂内には石の芭蕉像が安置されています。芭蕉遺愛の「石の蛙」も
ここに安置されていたが、今は記念館2階の展示ケースに移されている。
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芭蕉記念館の裏木戸を抜けると隅田川テラスに出ます。そこには「大川端芭蕉句選」のプレートがある。

ボランティアガイドさんが「このハイ9(俳句)碑、幾つあると思いますか?」
と“”を強調して訊きました。で、わかりますよねぇ~。九つです。
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芭蕉史跡展望庭園の芭蕉像。 4時30分閉館後、なんとこの芭蕉像、午後5時清洲橋方向へ90度回転します。隅田川を往来する観光船や屋形船に配慮したものだそうです。翌朝には元に戻ってるそうです。

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(上の2枚の画像は以前のものです。)
芭蕉稲荷、小名木川を過ぎ横綱通りに。お相撲さんが自転車乗ってるのに会えます。
話題になった北の湖部屋
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ワカメでも昆布でもありません。フンドシです。まわしと言うべきか。
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こちらは錣山部屋(しころやまべや)。あのカッコいい寺尾が親方。
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芭蕉ゆかりの臨川寺境内の石碑。臨川寺は住職の仏頂禅師と親交厚く、参禅に通ったお寺。
芭蕉の偉業を記した墨直しの碑は、京都双林寺の筆跡を写したもの。芭蕉由緒塚の碑は、芭蕉がこの臨川寺に、朝夕参禅した事や墨直しの碑の由来を記したもの。両碑とも戦災により破損、近年再建された。
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臨川寺の隣りの細い路地にこんな石碑が…。
「明人呂一官先生菩提所」の記してありました。
呂一官は明国の漢方医で家康の侍医。1615(元和元年 )江戸日本橋で紅、白粉、香油を製造販売。あのポマードの“柳屋”の初代です。
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清澄庭園を左に清澄公園を右に見て、通りを進みます。
清澄庭園の入口。  ツアーでは中には入りませんでした。
清澄庭園については別の機会に詳しく…。
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隣りの清澄公園
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隣に深川図書館。明治42年にできた東京市2番目の市立図書館。がっしりした正面玄関、螺旋階段、ステンドグラス等立派な図書館です。
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仙台掘川に架かる海辺橋を渡る。
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海辺橋際にある採荼庵(さいとあん)跡にある芭蕉像と一緒に記念撮影。後ろの建物はなんとプレハブ。ガイドさんも恐縮しきり。
採荼庵は芭蕉の弟子の杉山杉風の庵。杉風は幕府御用商人の魚屋で芭蕉のパトロン。芭蕉はこの採荼庵から「奥の細道」の旅に出ました。

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ここでツアーは終了。私は一行と別れ、来た道を後戻り。
ゆっくり写真を撮りに。

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