2010年9月15日 (水)

ガンバレ 安芸乃川

昼間、TVで(BS放送)相撲中継をやっているんですね。ちょうど三段目の取り組みだった。
今年6月、清澄公園で知った高田川部屋の安芸乃川さんはどうかなぁーと見ていたら、2,3番後に取り組みがあるのを知り、すぐカメラを持ってきた。
先場所は6勝1敗だった事はスポーツ新聞で知っていた。もう一歩で優勝だった。
安芸乃山という力士が同じ高田川部屋にいるのも新聞で知っていたが、なんと双子のお兄さんだというのはTVの解説で初めて知った。
17歳、物静かで、好感が持てるお相撲さんだ。
誘惑に負けず、稽古を積んで立派な力士になってほしいな。

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<安芸乃川と大露羅の対戦
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今年6月の深川・清澄公園と安芸乃川

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  Sakuraさんとsutaさんのタグをお借りしてます)

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2010年9月 9日 (木)

練習のⅢ

背景の練習ですが、こんなことしか出来ない。
 本当は記事の全体の背景に模様を入れたいのだが
…。

(8月初めに行った白馬五竜のペアリフト)
   オオバギボウシ
      カライトソウ
凄いことになりました。sutaさんが見たら仰天するかも…。
                sutaさんのご教示どおりやってみました。

                中央に寄ったようですが、あとは無理…。

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2010年9月 6日 (月)

練習ですので…のⅡ

 背景の練習ですが、こんなことしか出来ない。
 本当は記事の全体の背景に模様を入れたいのだが
…。

(8月初めに行った白馬五竜のペアリフト)

   オオバギボウシ
      カライトソウ

凄いことになりました。sutaさんが見たら仰天するかも…。

背景の練習ですが、こんなことしか出来ない。
本当は記事の全体の背景に模様を入れたいのだが…。

(8月初めに行った白馬五竜のペアリフト)

オオバギボウシ
カライトソウ

凄いことになりました。sutaさんが見たら仰天するかも…。

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2010年9月 2日 (木)

初体験…

まさか、カメラ片手に大磯まで出かけるとは!

もっと立派なカメラならともかく…。

ま、何事も経験!ということで写してみました、ダイアモンド冨士!

大磯城山公園(じょうやまこうえん)入口Photo_4

17時ごろ、展望台には沢山の人がもう…。三脚がずらり。
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まだまだ陽は高い。富士山、肉眼ではうっすらと見えていたのですが、画像には…。
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大磯の海も見えました。大磯漁港には夜釣りに来たことありますが。
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だんだん陽も傾いて。うっすらと冨士が見えます。17゜45′30″
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みんな、そわそわ…。
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誰からともなく「オオー」という喚声が…。       17.゜46′32″
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みるみる太陽が冨士山の頂上に。           17゜47′02″
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17゜47′50″ 
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17゜48′35″
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17゜48′50″ 完全に隠れました。期せずして拍手が起きたのにも感動です。
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余韻をあじわいつつ、黒冨士を撮るのでしょうか。
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ほんの数分のドラマでした。ダイアモンド冨士を見るのも初めてなら、撮るのも初めて。

みんな晴れやかで満ち足りた表情を(多分、自分も…)していました。
              
               (9月1日 大磯城山公園展望台にて)

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2010年8月25日 (水)

建長寺・開山忌

建長寺は鎌倉五山第一位。
建長寺の開山忌が23日と24日にありました。
建長寺の開山大覚禅師は中国西蜀淅江省に生まれ、名は蘭渓、道隆と号した。
ちなみに開基は鎌倉幕府第5代執権・北条時頼。

蘭渓道隆は淳祐六年(1246)筑前博多に着き、一旦同地の円覚寺にとどまり、翌宝治元年に知友智鏡をたよって泉涌寺来迎院に入った。智鏡は旧仏教で固められている京都では禅師の活躍の場が少ないと考え、鎌倉へ下向するよう勧めた。こうして禅師は鎌倉の地を踏むことになった。日本に来てから三年後のことと思われる。時に三十六歳。鎌倉に来た禅師を執権北条時頼は、軍務の暇を見ては禅師の元を訪れ道を問うのだった。そして時頼は建長五年(1253)禅師を請して開山説法を乞うた。禅師は鎌倉に十三年いて、弘長二年(1262)京都建仁寺にうつり、その後また鎌倉に戻ったが叡山僧徒の反抗にあって二回にわたり甲斐に配流されたりした。

 禅師はのち弘安元年(1278)四月、建長寺に再住、そして七月二十四日、衆に偈を示して示寂した。ときに六十六歳。
(建長寺ホームページより)

巨福門と呼ばれる総門

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総門を潜ると受付、朱印所があり拝観料300円を納めるのだが、今日はタダでした。ハイキングコースからここに降りてきても拝観料を取るのに珍しい事です。

三門 三解脱門の略。楼上に五百羅漢などを安置しその下を通ると心が清浄になることを祈念しているという。

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三門の「建長興国禅寺」は後深草天皇のご宸筆とか。

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三門を潜ると正面に仏殿が見える

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仏殿の内部。建長寺の本尊、地蔵菩薩を祀っている。

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仏殿の後ろ。扉が開いているのを初めて見ました。後でここでの法要の後、ここから僧侶が出てきました。

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百日紅の赤い花が目に眩しい

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9時30分ごろ、仏殿脇の鐘が鳴り、呼応するように三門横の梵鐘、さらにもう一箇所の鐘がなる。二つなると他の二箇所の鐘も二つ鳴る。
大法要の用意をするように伝えているんでしょうか?
仏殿脇の鐘。

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「梵鐘」の大きな鐘

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仏殿の奥にある法堂(はっとう)の内部。 住職が仏に代わって須彌壇上で説法するためのお堂。千手観音菩薩を祀っている。綺麗にしてあるからして、ここで法要が行われるらしい。

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法堂の脇で僧が集まっている。世間話をしていました

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10時15分ごろまた、3箇所で鐘がなる。移動すると西来庵道場の方から沢山の僧侶が法堂に向かってくる。なんと沢山のお坊さん!

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赤っぽい衣のお坊さんが一番偉いみたいです。

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全員法堂に入る間、鐘が一つずつ撞いている。大法要がはじまる。

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法要中、尺八と大きな太鼓の音のみが堂内に響く(カメラの音は別にして…)

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たくさんの僧侶、そして粛々と大法要は進む

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眠そうな小さな坊さん

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法要は進む

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11時5分、法堂での大法要は終わり、僧侶が出てくる。

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法堂から続々出てきます。仏殿に向かいます。

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御輿とでも言うのでしょうか?開山、蘭渓道隆の像が中に…。

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仏殿に入り、ここでも法要だかがありました。

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仏殿での法要も無事終わり、ここから更に方丈に行き「施餓鬼」が行われるようです。そちらには一般人は人数制限があり、入れませんでした。遠くからの画像を載せます。

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ちょうど12時。お腹もすいてきた事だし、どこかでお昼にしますか…。

法堂の傍の蓮鉢のハス。

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開山忌、わからないことばかりなので画像を沢山載せました。

追記

半増坊へ…境内奥の山の中腹に、建長寺の鎮守・半増坊大権現が祀られています。さらに細い道を登っていくと尾根道に出ます。展望台がありここからは鎌倉市街、相模湾や富士山が見れます。尾根道は鎌倉アルプスというハイキングコースになってます。

半増坊への道、背中に翼を持つ、たくさんのからす天狗の像。

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半増坊

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さらに登って尾根に出ると、展望台が…。そこからの眺め。建長寺が下に。

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鎌倉市街と鎌倉の海。中央斜めの街路が若宮大路でしょう。

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2010年8月16日 (月)

深川八幡祭り

8月15日といえば「終戦記念日」ですが、「江戸三大祭り」の一つ、深川の富岡八幡宮のお祭り(深川八幡祭り)の日でもありました。
深川祭は水掛祭りとして有名ですが、今回初めて生で見ました。
そして、昔懐かしい「わっしょい!わっしょい!」の掛け声が聞ける祭りでもありました。
お祭りは3年サイクルで、本祭・本社祭・陰祭の順番で祭礼が行われ、今年は陰祭りの年にあたるそうです。

本祭り(平成23年)  八幡宮の御鳳輦が渡御を行う年。氏子各町会の神輿、五十数基が永代通り神社前に集まり、神輿連合渡御を行う。

本社祭(本祭りの次の年)  本社神輿(宮神輿)が氏子町会、部会によって担がれ、巡幸される。あの大きな一の宮神輿ではなく、二の宮神輿が渡御される。ちなみに一の宮神輿は巨大すぎ(約4.5トンある)、通行の邪魔になって許可が降りないと聞く。

陰祭り(今年) 通常の祭りで、今年は子供神輿渡御が行われるそうです。11時から12時で、着いたときには終わってましたが、数は少ないが町会の神輿が渡御しており、水掛祭りを見物しました。

都営大江戸線の門前仲町駅を出て、永代通りを富岡八幡宮方面に行くと、道路に神輿が置かれている。ここの町内の神輿なんでしょう。ここからスタートするんでしょうね。
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神輿庫…普段はガラス越しにしか見れない宮神輿が今日は真直に見れます。

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左側のは一の宮神輿…約4.5トンもあり一度しか担がれていないとか。
装飾は鳳凰の胸  ダイヤ7カラット、鳳凰の目  ダイヤ4カラット 1対
鳳凰の鶏冠 ルビー2,010個等々宝石多数使用!

右側が二の宮神輿…重量 約 2トン 、鳳凰の目 ダイヤ2.5カラット 1対。

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一の宮神輿…その大きさ、重さで担がれない可哀想な神輿。

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一の宮神輿の上部

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こちらは二の宮神輿の上部

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授与所前から正面参道、大鳥居を見ると…屋台が沢山出ています。

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射的は子供も大人も楽しめる。大きな品物は当たってもなかなか倒れません。

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外国の人も…。女性はスペイン、男性はアイルランドの人だそうです。

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お参りを澄ませ、永代通りに出てみると、近づいている神輿にホースで待ち構えている!てぐすね引いて待ってる感じ…。

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ここに来るまで散々水浴びてきています。もうぐっしょり…。

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こんなもんじゃないです…。
「これでどうだぁ~」な~んて。勿論言ってませんが …。

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「もういっちょどうだぁ~」とも勿論、言ってません…。

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もうグチョグチョ。この暑さなので気持ちいいのかも?

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神輿は八幡宮を通り過ぎ東陽町方面に。

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しばらくして向うから別の神輿が来ました。

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八幡前の永代通りで神輿を回してました。どういう事かよく知りません。

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腹がすいていることに気づき、昼飯を食べに…。
戻ってみると、大鳥居を潜って神輿が神社に入ってきました。

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目の前を通り過ぎます。黄金色の神輿!輝いてます。

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一台目の神輿が御本殿前に着きました。

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御本殿前に一台目の神輿が据えられました。

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と、二台目の神輿が大鳥居を潜ってきます。

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大関力士の碑の前を行く。

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二台目も境内、御本殿前に。

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御本殿前に二台目の神輿も据えられ、神輿の担ぎ手ともどもお払いを受けます。本殿前にて。

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神主からお清めをうける。

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お清めのお払いを済ませ、渡御に出発です、いざっ!

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二台目も出発です。

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大鳥居を潜り渡御に。

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永代通りを出、各町内を渡御するたびにまた水を掛けられるんでしょうね。ご苦労様です。真夏の行事ですね。
通りに出ると
いなせな爺さん、まだやる気です!ポリ容器に水を溜めてます。
道路はビチャビチャ。

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子供には格好の水遊び場

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やる気満々の女性!イクワヨー

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で、あんまり画像載せすぎ!
あとは駆け足で…

境内の舞台での実演技  葵太鼓…勇壮で遠くにいても腹に響く。

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箏の演奏もありましたが割愛。葵太鼓や箏を聞いているうち、
いつの間にか日も落ち、灯がともされ、厳粛で何か心寂しい気分に。

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まだ祭りは終わりません。お囃子も景気づけにがんばってます。

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やっと涼しくなりましたが(日中は暑かったぁ~、ぶっ倒れるかと思った!)そろそろ家路へ。

取り留めなく、画像ばかり多くてすいません。最後まで見ていただき、有り難うございました。

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2010年7月30日 (金)

蓮と観音様と…

  ちょっと遅いですが、蓮とお釈迦様ではなく、観音様を…。
3週間も前の大船観音と大船植物園での画像ですが。
お蔵入りにするつもりでしたが、思い切ってアップしました。

白衣の観音像 (大船観音寺)

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観音様の右後から 大きな背中です

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観音さまの胎内に入れます 本体の20分の1の原型像

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大船植物園の蓮 (神奈川県立フラワーセンター大船植物園)

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睡蓮

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大船植物園にて

「はい、チィーズ!」と言っても子供はジッとしていません。やっと撮れました、このお母さん。

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「写真、撮るのォ~?」「お願いします」「じゃあ~、帽子被ろうかぁ~」
本当は綺麗な白髪の後姿を撮りたかったんですが…。

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「写真?どーぞぉ」「カシャッ!有り難うございました」「キミィー、これでオレを撮ってくれよ」
大きな一眼レフデジカメを渡されました。手にずっしりと重みが…。そして心地よいシャッター音!
左から右から、はたまた後から7,8枚撮りました。
「有り難うね!」「いいえ、こちらこそ。一眼レフデジカメいいなぁ~。」

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2010年7月 3日 (土)

マボロシのまんだら堂

 「鎌倉の紫陽花?まんだら堂の紫陽花は凄いよ。随分前のことだから、今はどうなっているかわからないが…。」近所に住む鎌倉生まれの人にそう聞きました。
「まんだら堂…?聞いたことないなぁ~、何処なんだろう…?」
地図をみてもわからない。インターネットで調べてわかりました。
鎌倉というより逗子市でした。

~第二次大戦後、まんだら堂跡には法華経の行者、故小山白哲老師が妙行寺を建て、あたりを畑にするため弟子の青年と二人で掘り起こすと無数の五輪搭や宝篋印搭が出土したため、すこしづつ復元をした。小山白哲老師は世界平和を祈るかたわら、庭に花を育て、鎌倉有数の花菖蒲やあじさいの見所にまでなった。しかし老師の死後、寺は荒れるにまかせ、まんだら堂自体も閉鎖されて現在にいたっている。  (インターネットによる)

どうやら現在、妙行寺は廃寺でまんだら堂跡は閉鎖されているらしい。
鎌倉ハイキングがてら一応行ってみることにしました。
街中を歩いてるときは蒸し暑くて熱中症になるかと思ったが、山道に入ると緑生い茂る木々が日陰を、そして涼しい風と野鳥の鳴き声に生き返ったおもいでした。

鎌倉駅を出て、若宮大路を突っ切り、郵便局の横の道を入り本覚寺へ。
駅への近道なのか、みなお寺を通り抜けしてる。お辞儀をする人、しない人、マチマチでした。

本覚寺 こちらは裏門です

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境内に置かれた蓮鉢の蓮の花

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反対側の山門(仁王門) こちらが正面のよう。潜ると右手に夷堂がある。夷堂(えびすどう)は日蓮上人が佐渡流罪を解かれてここに身を寄せたところ。
写真、撮り忘れました。

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本覚寺を出て、滑川に架かる夷堂橋を渡るとすぐ妙本寺に。
後に山を控え、涼しそうな参道の階段を登る。
妙本寺総門

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ここも日蓮宗のお寺でした。日蓮上人の立派な像。

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境内に咲いているノウゼンカズラの花。熱心に一眼カメラで花の写真を撮っていたご婦人に聞きわかりました。今年は開花が遅いとか。そしてこの花こそこのお寺のメインだとか。「そうなんですか…」

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妙本寺を出、ぼたもち寺、八雲神社を駆け足で見て上行寺 へ。

ぼたもち寺(常栄寺・日蓮宗) 
常栄寺は、印東次郎左衛門の妻で、「桟敷の尼」と呼ばれた妙常日栄の名前に由来している。
1271年の日蓮上人の龍の口法難の折、桟敷の尼が日蓮にゴマのぼたもちを捧げたという故事があり、「ぼたもち寺」として親しまれている。
以後、700年余り経ったいまでも毎年9月には、御法難会に際し、片瀬龍口寺の祖師像にゴマの餅を供えるのを習わしとしている。

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「ぼたもち寺」のすぐ近くにある「八雲神社」

鎌倉で最も古いと伝えられる、厄除開運の神社。疫病が流行した際、源義家の弟・新羅三郎義光が京都の祇園社から祭神を勧請し、祈願したところ、疫病は退散し、住民は難を逃れたといわれている。古くは祇園天王社・祇園社と称したが、明治維新に八雲神社に改称された。

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別願寺をやり過ごし、上行寺へ。道路を歩くのは暑い、暑い。熱中症で倒れるかと思ったほど。

上行寺(日蓮宗)
日蓮上人の孫弟子にあたる日範上人が1313年に開山した寺院。

山門 この裏側に左甚五郎作の龍の彫刻がある。

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すべての病(特に癌)ご利益があるとされる瘡守稲荷(かさもりいなり)と、身がわり鬼子母神が祀られている。

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龍の彫刻がある。左甚五郎の作。

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安国論寺は割愛し、鎌倉葉山線を葉山方面へ向かう。横須賀線の踏切を渡ると長勝寺がある。ここも日蓮宗のお寺。
長勝寺山門 安国論寺とならび、日蓮上人が松葉が谷に来て初めて草庵をむすんだ寺といわれる。
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境内にある高村光雲作の日蓮銅像。後ろに控える四天王。

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紫陽花がお出迎えの本師堂

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長勝寺を出て、再び道路を葉山方面へ歩く。すぐ左に折れ、再び横須賀線の踏み切りを渡ると、名越切通への道標がある。線路に平行に上っていくと…。
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坂の途中から後を振り返ると、長勝寺の本堂の大きな屋根。

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ここからは山道です。ちょっと薄暗く、道はじめじめしている。ハイキング用の靴を履いてきて正解でした。

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名越切通のよう。行き過ぎたようです。

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引き返すと、道の途中に鉄パイプとフェンスで、まんだら堂跡への道は閉鎖されていました。
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ギョッ…!なんと、蜘蛛がしっかり入口を守っていました。「入っちゃいけんよ…」「ヘイっ…」

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まんだら堂跡への道。フェンスの横から撮りました。

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まんだら堂跡は閉鎖中を確認し(?)、あきらめ、山歩きをしつつ報国寺へ出ることに。
途中、ゆりの花を見つけました。しばし休憩して写真撮りました。

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山道ではリスのくぐもった鳴き声があっちにもこっちにも。鎌倉の山は非常にタイワンリスが多い。
道を上り詰めると片側が開けてて、鎌倉、逗子の海が見えるところに出ました。中央にある小さな、かすかに見えるのが江ノ島のようです。
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左にパンして…。こちらは逗子の町と逗子湾でしょう。

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歩きながらサンドウィッチを食べ、山道を進む。すると、片側が住宅街に開発され、ハイキングコースはその周りをなぞるように走っている。いやはや…。
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再び山道になり(巡礼古道)、途中左に下りていく細い道を下っていきます。標識がないのでわかりにくい。手前の広い芝生の公園にいたおじいさんに聞いてよかった。
道なりに進む。綺麗な紫陽花に会えました。

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舗装された道に出、しばらく行くと右側に旧華頂宮邸の立派な庭が、道路からも見える。

華頂宮(かちょうのみや)家はどんな宮家?
伏見宮家の分家のようです。初代博經親王は伏見宮邦家親王の第12王子で、嘉永5年(1852年)知恩院門跡となり明治元年(1868年)勅命により復飾して、知恩院の山号「華頂山」から華頂宮の称を賜ったとのこと。華頂侯爵は数年しか住んでいなかったとか。所有者がしばしば変わり、現在は鎌倉市が買い取っている。

門を入ってすぐ。建物の中は非公開です。

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庭は広く明るい。サッカーができそう・・・。

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庭にいた野鳥。セキレイだと思うが。白くないのでわかりません。

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旧華頂宮邸を出て、更に行くと報国寺です。竹のお寺で有名ですが、初めて入りました。

報国寺は1334年創建の臨済宗建長寺派の寺。天岸慧広(てんがんえこう)が開山、開基は足利尊氏の祖父である足利家時。上杉重兼が開基という説もある。かつては足利、上杉両氏の菩提寺として栄えたと伝わる。
報国寺山門

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竹の庭
石だたみが敷き詰められた道に心地よい風とウグイスの鳴き声が。別世界だ!

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苔むした石灯籠。落ち着いた雰囲気がいい。

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やぐら 足利一族が眠っているのでしょうか。 

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本堂の裏庭。

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真っ白い葉の植物!カメラを向けているご婦人に聞きました。
「ハンゲショウです。今日(7月2日)が半夏生の日です。」
「えっ、ハンゲショウの日・・・??」
で、調べてみました。
 夏至から11日にあたる半夏生のころ花を開き、葉が白くなるからいう。 また葉の表面が白いので片白草とも呼び、半化粧と書く場合もある。

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報国寺を出て、帰る事に…。しかし蒸し暑かった一日でした。
鎌倉駅まで歩くのはやめ、バスに乗りました。
鎌倉でバスに乗るのは初めてでした。
まんだら堂跡は一年に一度公開日があったようです。
現在はどうなのか?
その時まで、お預けです。

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2010年6月27日 (日)

蝉しぐれの丹沢・鍋割山稜

梅雨の晴れ間に丹沢・鍋割山稜を歩いてきた。

小田急線渋沢駅からバスで約10分で大倉へ。ここから大倉尾根を登り、「金冷やしの頭」の分岐で塔ノ岳への道を右に分け、左に(西)進み鍋割山稜を鍋割山へと歩く。塔ノ岳は東丹沢一番の人気の山で人も多いがこちらは少ない。ぶなの大木の中、森林浴をしつつ静かな山歩きを楽しんできました。

(沢山画像載せました。どんどん進んじゃって下さい。)

渋沢駅からのバスの中、ほとんど登山者ばかり。

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大倉バス停から車道を北へ進む。車道からコンクリート舗装された山道になり、すぐに道幅も狭くなり登山道になる。

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時々、雲が切れ、朝日がさす。緑が眩しい。ウグイスやら野鳥の鳴き声につつまれ、気持ちのいい朝の山道。至福のいっとき。

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観音茶屋を過ぎ、道は二股に別れる。先で合流するが、左を行く。パノラマ展望台があるが、曇り空なのでどうなのか?

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「大倉高原山の家」の手前にこんな鳥居が…。いつの間にできたのか?

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「大倉高原山の家」 ここのすぐ上の平にキャンプ場があります。水場もあるので。

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山の家の前。ここからの展望がいいのだが、ガスってて下界は見えません

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山の家の清水の水場。冷たくて美味し~い!20円です。

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見晴茶屋。改築なって綺麗になりました。

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ここを過ぎてから急登 になる。一本松跡の平で休憩。

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更に進むと駒止茶屋に。ここまで馬で来たのでしょうか、昔の人は。

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駒止茶屋の上の平。

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向うの稜線はガスがかかっています。天気がよければ左上に富士山が見えるのだが…。

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「堀山の家」 ここからまたきつい階段が続きます。ここで小休止しエネルギー補給します。

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階段状のきつい登山道が続くが野鳥の鳴き声に救われる。

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「花立山荘」の手前でツツジの花を見ました。ミツバツツジかな?

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やっと「花立山荘」に着きました。

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ここからの景色がいいのだが…。富士山も雲の中。承知で来ているが…。向うに目指す鍋割山稜が雲の切れ間から覗けた。

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このさき花立からは絶景なのだが…。いったん樹林の中を下り、狭い稜線を進むと「金冷やし」の分岐に出る。

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分岐。登ってきた道を見る。西の鍋割山稜を行く。反対は塔ノ岳への道。

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ほとんどの人が「塔の岳」を目指していく。鍋割山稜を行く人は少ない。
ぶなの大木などの雑木林の中を静かな山歩きするには絶好の稜線なんですが…。

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時々、緑濃い木々の中に赤いツツジが見れる。フッとほおがゆるむ。

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北側の丹沢主稜方面。蛭ヶ岳(神奈川県の最高峰)かどうかは同定はできない。

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倒木にコケが生している。

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言葉で表現できない春ゼミの大合唱!時々、ヒグラシのような鳴き声も聞こえる。「何処にっ?」と捜しても見つからない。抜け殻はたくさん見れましたが。

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緩やかな稜線をマイナスイオンを体いっぱいに浴びて(?)進む。

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前に人がいました。ほっとしました。

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またガスがかかってきた。

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何の花なのか?

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「金冷やし」の分岐から1時間。鍋割山頂に着きました。鍋割山荘です。

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7時15分に大倉を出発。12時に着きました。随分かかってます。
現在の自分の足腰の状態からはこんなもんでしょう。
山頂からは富士山や蛭ヶ岳などが見れるのですが…。

鍋割山荘の名物、鍋焼きうどん。かって100キロを越すボッカで有名な山荘のご主人が作ってくれます。汗で冷えた体には暖かく、具だくさんでおいしかったです。量が多いかなと思いましたが、さすがに体力消耗していたのでしょうか、完食しました。

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1時間ぐらいのんびりして下山しました。途中、こんな鹿の角のような木を見つけました。

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後沢乗越(うしろざわのっこし)を過ぎ、林道に降りてきました。

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ここからは出発地点の大倉バス停まで単調な林道歩きです。
1時間40分ぐらいの林道歩き。

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大倉バス停近辺。風のつり橋。ほっと一息です。

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久しぶりの山歩きでした。霧の中のぶなの原生林の中を歩く、静かな山歩きを楽しめた鍋割山稜でした。

前日、前々日の二日間、整骨院で足腰もんでもらいました。で、モッタノカナ?

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2010年6月13日 (日)

清澄公園と清澄庭園

清澄公園

関東大震災で崩壊した、庭園の西側に隣接する旧洋館跡及び庭池一帯だった旧清澄庭園敷地を購入、昭和49年より整備し昭和52年無料開園した。

傘のお化けか?“ゲゲゲ…”を見過ぎ…?

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藤棚の下でさかんにラジコンカーを調整しているお相撲さん。
「何処が悪いの?」「エンジンから煙が出て、音が大きいんです。」
携帯で電話して聞いて、やっといい感じになったよう。
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「なんて云う四股名なの?何部屋?」「安芸乃川です。高田川部屋です、3段目です。3年目で17歳です。先場所ですか?勝ち越しましたよ。」「ブログ?どうぞ載せて…」
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今度は快調、 みんな遠巻きに見てます。
操縦のうまいこと!「レースに出た事ないけど興味はありますよ」
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「来場所もガンバッテ下さい!」「有り難う…」
礼儀正しい好青年でした。早く上にあがってきてね。

清澄庭園
一説に江戸の豪商・紀伊國屋文左衛門の屋敷跡と言い伝えられています。
 明治11年、岩崎弥太郎が、荒廃していたこの邸地を買い取り、社員の慰安や貴賓を招待する場所として庭園造成を計画、明治13年に「深川親睦園」として一応の竣工をみました。弥太郎の亡きあとも造園工事は進められ、隅田川の水を引いた大泉水を造り、周囲には全国から取り寄せた名石を配して、明治の庭園を代表する「回遊式林泉庭園」が完成しました。
 清澄庭園は、関東大震災で大きな被害を受けましたが、この時図らずも災害時の避難場所としての役割を果たし、多数の人命を救いました。岩崎家では、こうした庭園の持つ防災機能を重視し、翌大正13年破損の少なかった東側半分(現庭園部分)を公園用地として東京市に寄付し、市ではこれを整備して昭和7年7月に公開しました。
(パンフレットより)

入ってすぐ

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大正記念館(休憩所) ここも涼亭も有料で貸切利用できるようです。

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その内部です。持参したお弁当を食べる人、居眠りする人。暑いこの日は嬉しい施設か…。
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大磯渡り

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カモに餌をあげる女の子。

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なにカモか?

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日本各地の名石の数々
岩崎家が自社の船で全国から集めたものを園内に配置してある。
佐渡赤玉石

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伊豆磯石

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加賀真黒石

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伊予青石

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生駒石

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磯渡り

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着物の人も。お茶会でもあったのでしょうか?

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数奇屋造りの涼亭 明治42年国賓として来日した英国のキッチナー元帥を迎える為岩崎家が建てたもの。

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池を向いて座禅をしている。中にお坊さんもいました。

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涼亭前の紫陽花、今は もっと色づいていることでしょう。
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庭園の木の上に東京スカイツリーがちょっと見えてました。コンデジのズームを最大にして…。

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自由広場の奥に花菖蒲田が2枚あります。もう一方は少ししか咲いていませんでしたが一週間前ですので、今頃は…。

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傍にある芭蕉の句碑 あまりにも有名な句です。

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柵の隣りは深川図書館
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ぐるっと半周以上過ぎ、バックにビルが入らない庭園を写せました。


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石橋

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石橋を渡った先にカメラマンが4,5人。何を…?アオサギでした。

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だらだらと沢山画像載せました。
最後まで見てくれて有り難うございます。

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